学会について

日本ゲノム微生物学会 設立趣意書

微生物のゲノム配列決定が全世界で飛躍的に進みつつあり,2005年までに300を超える微生物の全ゲノム配列が解読されている.配列解析の技術の一層の高度化が今後も予想され,それに伴い微生物ゲノム配列の解読は一層加速されるであろう.また,ゲノム配列解読プロジェクトの進展により,比較ゲノム研究,ゲノム進化研究はもとよりトランスクリプトーム解析,プロテオーム解析,そしてメタボローム解析と新たなゲノムワイドな研究手法が微生物研究にも導入されつつある.その結果,微生物研究は新しい局面を迎えており,その戦略と課題が大きく変わりつつある.

全ゲノム配列を決定することにより,各微生物のゲノムにコードされている全遺伝子セットを明らかにすることができる.オーミック解析の手法も用いることにより様々な微生物細胞の中で働いている遺伝子・タンパク質・代謝産物が構成する機能ネットワークを解明し,微生物の様々な細胞機能をシステム的に理解することが可能になりつつある.その結果,各微生物が持つ病原性や有用機能などの固有の特性を決めている遺伝子・遺伝子セットとその進化の理解が進んでいることはもとより,細胞増殖を担う基本的な遺伝子セットについても普遍的要素と各微生物に固有な要素が明らかになりつつある.さらに,地球上の微生物は種の総数が50万種を超えるともいわれ,それぞれが単独で存在しているわけではなく,相互に依存,競合する集団,すなわちコミュニティーとして生活し続けているが,そうしたコミュニュティーの構造,相互作用,ダイナミックスとその背景にある分子基盤を研究することを,ゲノム科学の研究手法は現実の課題としつつある.こうした微生物のゲノム科学的研究は,我が国が世界をリードしてきた生物機能を利用した物質生産の分野においても,システム生物学的視点を加えることにより,更なる発展をもたらすであろう.また,病原微生物の病原性の理解は,その新たな克服法の開発につなげなくてはならない.さらに,自然界における微生物コミュニティーの理解は,それをコントロールする技術の開発により,ヒトの健康の維持や環境の維持,浄化に新たな可能性を切り拓くであろう.

我が国における微生物ゲノム研究の開始は早く,一つの生物の全ゲノム配列を決定しようというプロジェクトは,我が国で大腸菌について最初に挑戦が始まった.1997年に報告された枯草菌のゲノム配列は,枯草菌の分子生物学研究に取り組んでいた日欧の研究室の国際共同研究として行われた.かずさDNA研究所でも,1997年のシネコシスティスのゲノム配列決定を皮切りに4種のシアノバクテリアのゲノム配列を決定し,世界をリードしてきた.そして,2000 年から始まったミレニアム未来開拓学術研究推進事業において病原菌のゲノム配列決定が進められ,ミレニアム特定領域研究「ゲノム生物学」においては,機軸モデル微生物の組織的な機能解析とともに様々な微生物の特徴的な遺伝子システムをゲノムから研究することが推進され,我が国の微生物ゲノム研究の裾野を広げることに貢献した.こうしたプロジェクトと並行して,戦略的基礎研究による大腸菌ゲノム機能解析,理研ストラクチュローム連携研究による好熱細菌タンパク質のシステマチックな構造決定も取り組まれ,また,製品評価技術基盤機構と海洋科学技術センターにおいても微生物ゲノム配列決定が進められた.さらに,最近では,環境微生物集団のゲノム科学の視点からの研究も始まっている.こうした諸研究プロジェクトの枠を越え,全日本レベルでのゲノム微生物学関連研究者間での情報の交換と連携の促進によって,我が国のゲノム微生物学研究の推進を図ることを目的として平成11年から毎年度末に開催されているワークショップ「微生物ゲノム研究のフロンティア」は,活発な情報交換の場として微生物のゲノム研究を中心とする研究領域の拡大と活性化を担ってきた.

また,こうした取り組みの結果,従来,医学,農学,工学,理学等の分野で,研究目的ごとにあるいは菌種ごとに個別に進められてきた微生物研究が,ゲノム配列情報という共通の基盤の基に,お互いに情報を交換しながら統合的に研究できるようになったことも我が国での微生物研究の新たな展開を考える上で重要である.

このように,学際的な微生物研究によって微生物細胞の全体像,すなわち,普遍性と多様性,多様性をもたらした相互作用と進化の全貌を解明し,さらに,自然環境中における微生物集団の動態の分子的基盤の解明することに挑戦する機運が熟している.すなわち,微生物研究は生物学の最も基本的な命題である「細胞とはなにか」の解明にもっとも接近しており,これからの10年,微生物研究が動植物を含むゲノム科学の展開を先導するものになるであろう.そして,人類の福祉に貢献することを目指す微生物の応用研究においても,ゲノム科学はその新たな展開を可能とする.この10年間,微生物のゲノム科学的研究は,我が国においては「ゲノム研究」という枠組みを中心にサポートされてきた.その結果,微生物ゲノム研究の発展と波及効果によって,微生物研究全体を包括するような新しい研究の枠組みである“ゲノム微生物学”が我が国に誕生したと考える.こうした動きを一層加速し,我が国におけるゲノム微生物学研究を確固としたものにしていくために,この間継続してきたワークショップ「微生物ゲノム研究のフロンティア」を発展させ,「日本ゲノム微生物学会」を設立することを提案したい.その目的は,基礎生物学,細胞分子生物学,生化学,医学,農学,薬学,生物工学など微生物科学に関する基礎から応用までの広範な学問領域の研究者の参加により,研究交流,研究発表,研究情報の交換の場の提供を通じて,我が国のゲノム微生物研究の更なる振興を図るとともに若手研究者の育成を行うことにある.また,伝統ある我が国の微生物研究の21世紀にふさわしい研究推進のための方策の提言にも取り組む.


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